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大人の品格と躾とか。最近は考えることが多い。品格だなんてまさか自分が言うとは思っていませんでしたが、最近の体罰問題はもちろんそれにとりまくマスコミの対応とかみているとなんだか品格も何もあったもんじゃないなーと。

そして、躾。躾は身体の身に美しいと書く。今までなんとも思わなかったけど、厳しい躾とは身体を美しくするために必要なんだと思ったり。美しいとは俗に言う意味よりも、正しい姿勢、考え、志だったりするのではないのかなと私は納得しました。今の日本にはとくにマスコミにはこういう考えはあるのかな。ある人もいるんだけろうど。弱いモノや場所をみつけて、「みっけ!」みたいな感じで叩いているようにしか思えない。ひどいよね。本当に。

これだから、ニュースも見る気がしなくなる。特に民放のニュースは見る気にならない。古館さんも昔のプロレスの実況やっている時のほうが断然良かったような気がする。今はあのしかめっ面みると、もっと言い方もあるだろうし、なんか斜に構えた物の言いにいい気はしないですね。

▼試合に負けたらタックル100本

「試合に負けたらタックル100本」。ここだけ切り取ると、虐待に映るかもしれない。もとより、この種の懲罰的に映る練習を慣習的・機械的に行うと、選手の意欲はみるみる減退してチームは弱くなる。

しかし、慣習ではなく、ここというところで、スキルと経験、さらに人格の優れたコーチが、気の弱い人なら目をそむけるような激しい訓練をさせるなら、そのことは個人教育としても、またチーム強化としても、現実に成果を得る。それを、いちいち外部の監視や介入で遠慮してしまえば、伸びる芽を摘むことにもなりかねない。

確かに、コーチは万能ではありえぬから、成功の半面の失敗もあって、ある選手の才能をスポイルする場合もあるだろう。しかし、あえて書くが、そこまでは許容範囲なのである。万人が完全に満足して、万人に一律に効果的な指導などありえない。

もとより勝負は理屈でない。猛練習もその範疇にある。非科学的な領域を経験しておかないと、大一番の土壇場で力を振りしぼったり、冷静でいることはできない。また、理屈を超越した猛練習、暴力ではないけれど親には見せられない鍛錬とは、実は、弱者が一矢報いるための方策でもある。

快適で、合理的な練習ばかりをしていたら、東京大学は早稲田大学にいつまでも勝てず、ジャパンはワラビーズに追いつけない。どこかで「無理」は必要だ。

自分はラグビーでは試合に出たり出なかったりも経験したし、高校時代はチャンピョンシップラグビーも経験したのでよくわかるけど、弱者が強者に勝つには多少の無理をしないと勝てる訳がない。

どこかの、評論家が極論してタイガーウッズやメッシが体罰を受けて上達したのであれば体罰を認めるがそんなことはありえないとか書いていたけど、体罰かどうかは別にして他人からみれば厳しい練習も楽しんでやってきたからああなったのだと思う。

自分みたいな人間は楽しかろうが、厳しかろうが己の目標を達成するためならば厳しさもなんのそのでやり遂げると思う。関係ないんですよ。厳しいとか楽しいとか。根本は自分の心にあり、どうなりたいのかが一番重要なのではないかと思う。人生は長い。永遠に勝ち続けることはない。負けるときもある。その時どうやって立ち上がるか。これが大切なのだと思う。

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